2016年11月30日水曜日

彼誰屋 (喪中ハガキ編) #247 - 5

会社関係用
前回ご案内した喪中はがきは、母の写真を使いましたが主人の会社関係の方向けは写真を使わないデザインにしました

水彩画のリンドウで花を、彼誰屋(かわたれや)さんに描いて下さいました
母は紫色が好きだったので、彼誰屋さんがリンドウを選んでくださいました

彼誰屋さんから

りんどうの花言葉は 悲しみに寄り添う・・・・という癒しの意味があります

宮沢賢治の銀河鉄道の夜という童話をご存知でしょうか

親友だった二人の少年のうち、一人の少年が夏祭りの夜事故で命を落します

その夜、友達の失われた魂が天国へいく僅かな間に少年たちは汽車に乗って時間旅行へでかけてゆくのです

その時、咲いていたのはりんどうの花でした

りんどうは別れの花でもあるのです


母のイメージだったり思い出をメールに託して、彼誰屋さんにお願いしました
そして三枚の喪中はがきを作成して頂きました

記念となるハガキとなりました、義父の時も母の時もとても心に残るものとなりました
彼誰屋さんには、WEB上での出会いです
実際にお会いしたことはないのですが、このような出会いがあって心のこもった物が出来たことを本当に感謝しています



 彼誰屋



以前の記事のご紹介 ↓↓↓

彼誰屋 (喪中ハガキ編) #247 - 4  (母の喪中はがき)

彼誰屋 (喪中ハガキ編) #247 - 3 (義父の喪中はがき)

彼誰屋 (デザイン編) #247 - 2

彼誰屋 (写真加工編) #247 - 1









彼誰屋 (喪中ハガキ編) #247 - 4



親戚向け
明日からは12月になります、本当に一年が早く感じますねぇ~

今年は母を見送り、幼い時に父を見送ってからは二人で生きてきました
喧嘩も良くしました、結婚をするとき主人からは「一卵性親子」と呼ばれ、始めから同居を快く受け入れてくれました

介護をする側の立場からすると、介護が終わってからも残るのは「後悔」だけでした
旅立っていった母のいろいろな手続きを一つずつ済ませるたびに、母の名前が消えていきます
なかなか寂しさはつきず、自責の念に苛まれていきます

故郷をはなれて二十年以上が経ちます、親戚の方にも年賀状だけのやりとりになりました
少しでも母の様子を知らせるために、今年の五月に撮影した写真を喪中はがきに使用しました

母に似て来たとよく言われましたが、生前はその言葉がとても苦痛でした
でも今になると、快く受け入れられるようになりました

親戚向けと知人向けの2種類のパターンを作りました
葬儀は家族葬をし、親戚の方には知らせていませんでしたのでお詫びのメッセージを入れています
知人向け
喪中はがきを出すことで、一つの区切りがついたように思います

周りの方にもご報告をしておりませんでしたが、ブログでお知らせさせて頂きます

介護中は多くの方に助けて頂きました

ここに感謝とお礼を申し上げます



今回の喪中はがきのデザインは「彼誰屋」さんにお願いいたしました
伝えたかった気持ちを、やさしい文章にしてくださいました
文才もデザインもとてもステキなデザイナーさんです
どんな方も依頼できますので、この喪中はがきを参考になさってみてください


 彼誰屋



以前の記事のご紹介 ↓↓↓

彼誰屋 (喪中ハガキ編) #247 - 3 (義父の喪中はがき)

彼誰屋 (デザイン編) #247 - 2

彼誰屋 (写真加工編) #247 - 1





2016年11月24日木曜日

定年挨拶 #271


今年もあと少しになりましたが、1月の初めから殆ど更新していなかったゆる~~いブログです

さて、主人は9月末で定年となりました
引き続き10月からは「嘱託」として勤めることになりました
会社や各部署で、定年祝いをしてくださり10月はバタバタとしておりました
その中でも、所属部署の定年祝いではクルージングを経験できたようです

今までは社宅だったので、4月には引越しをいたしました
4LDKの戸建てから3LDKのオートロックマンションのような所に引っ越したのですが、その荷物の多さに段ボールが100個くらいあり、段ボールの中で生活をしていました

少しずつ落ち着いてきたでしょうか
そして、主人の定年挨拶状を出し終えた感じです

今回も大好きな「彼誰屋」さんにデザインを依頼して、挨拶状を作っていただきました
とてもステキなデザインに仕上げて頂いたので、アップいたしました

彼誰屋


 
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